みんなの共闘で「教育基本法改定」を粉砕しよう

 教育基本法に「愛国心」「伝統」が載ろうとしています。その後には、学習指導要領に愛国心教育・伝統教育の内容が詳細に載り画一的に広がるでしょう。
 学習指導要領に載っている「正しい」愛国心「正しい」伝統に日本全土が包み込まれるます。その結果どうなるでしょうか。正しさには、道徳的なものも含まれるから田縣神社の「扁之古祭」のような教育上よろしくない伝統文化は教えられません。毎年死者をだすようなお祭りも同様です。そして、改定論者は、神話大好きだから洪水を歯止めたところから「歯の神様」になった大阪の「歯神社」(祭神 歯神大神)のような神話にルーツを持たない地元の神様は教育内容からもれます。その結果、高天原は知っているけれど地元の神社は知らないよという子どもだらけになります。政府によって公認された文化だけが残りあとは廃れる可能性があります。
 また、彼らにとっての「伝統」の家族には働く女性がいなくすべての母親は専業主婦です。女性が働くことは、教育上否定されます。母子家庭や「3ちゃん農業(じいちゃん・ばあちゃん・かあちゃん)」に頼る農家、夫婦でがんばっている八百屋、おばあさん一人でやっているタバコ屋・共働きでがんばっている夫婦は間違った家族形態とされます。教育上正しい家族を目指せば、収入減は確実で離農・廃業が起こり農村の過疎化と商店街のシャッター通化します。都市に人間が集中し失業率があがり都市の一部ではスラム化が起こります。スラム化により貧富の格差が拡大犯罪が増加します。専業主婦や専業主夫は生き方の一つとして認めますが、専業主婦・専業主夫になれない層・職業は死ねということですか。あと、彼らは母性論者なので父子家庭も否定されます。
 愛国心は愛「郷」心ではなくあくまで愛「国」心なので、愛国心教育で育った子ども達は国のためなら自分の育ったふるさとは捨てるかもしれません。国のためのダム・道・発電所を造るためなら、故郷の自然・歴史遺跡などを破壊するかもしれません。そして、誰もふるさとをかえりみなくなるかもしれません。愛郷心を失った若者はもはや田舎にとどまる理由はなくなり、「不便」な田舎を捨てて都会に出て行くでしょう。
 教育で得る「知識」だけでこれだけの問題を引き起こす可能性があるのです。では次に、心を見ていきましょう。
 教育基本法や学習指導要領に「伝統」や「愛国心」が載れば評価の対象になります。しかし、人が他人の心を評価することは難しいため行動を評価することになります。学習指導要領に従って教師がしゃべった内容にただ従う生徒だらけになります。言われたこと以外のことをやると減点されるかもしれないので言われたことしかしなくなります。その結果自分で考えることをしなくなり、いわれた通りやるいい子ちゃん達は上司の言うことは良く聞くかもしれませんが技術革新(イノベーション)の時代には対応できません。なので、上に言われないとできないので指示待ち族や寄生虫社員(パラサイト社員。あらゆる個人の決定を会社や上司にゆだねる社員)が増え彼らは何の発想を会社にもたらさず会社のお荷物になります。もちろん、模倣なしの発明はありませんが、模倣しかしないものにじゃ発明はありません
 農村・漁村の皆さん教育基本法改定は「過疎化」をもたらします。これを推し進めようとする保守政党を支持するのをやめて改定に反対しましょう。地方の伝統文化継承に励んでいる皆さん地域の神社の神主さん寺の住職さん、この改定は「地域文化を破壊」します。この改定に地域文化の保護を期待してはいけません。ふるさとが忘れられる前にこの改定に反対しましょう。母子家庭・父子家庭・農家・漁師・商店街でがんばっている皆さん。この改定は、あなた方の「仕事・生き方を否定」します。改定されたこの法律の考え方が日本の常識となればそれに反する生き方をするあなた方は日本の爪弾き物になります。誤った常識が広がる前にこの改定に反対しましょう。毎日毎時間、刷新に励んでいる会社経営者の皆さん。改定されたこの法律で育った子どもはいい方は悪いですが「奴隷のような若者を生産」します。言われたことしかしない頭の固い社員は会社の刷新または向上の妨げです。自分の会社を倒産させる前に、この改定に反対しましょう。この法律は、貧富の格差を拡大させ、犯罪を増加させます。日本の心あるみなさんこの改定に反対しましょう

「愛国心」のゆくえ―教育基本法改正という問題

「愛国心」のゆくえ―教育基本法改正という問題

「日本の伝統」教育が地域の伝統を破壊する

私の故郷の町には開店祝いの花を通行人が持ち帰るという伝統がある。今はやりのもったいないの精神にそった現代にも十分に価値のある伝統である。しかし、これを日本の伝統と言ったら他の地域の人に怒られるだろう。しかし、関西地方で始まった節分の日に巻き寿司を恵方の方角を向いて食べるという伝統は、今や日本の伝統と化した。西尾幹二は森は存在せず木の集合で木も松やらぶなやらいろいろな種類のものがあって、松でもそれぞれ一本一本は違う松なのだと言った。伝統もそうだと思う。雑煮が究極の例だが、雑煮の具は地方でみな違う。共通なのはもちを食うことだけ。もしそこでとある一種類の雑煮だけを日本の伝統と決めてしまったら他の雑煮は日本の中の文化であるにもかかわらず日本の伝統になれないのだ。学習指導要領に決められた日本の伝統が自分の故郷で行われていないものだったら自分の故郷がニセ日本のように思え故郷を否定するようになるのではないのか。国家が伝統に口ざしするとき、これまでの地方の伝統が破壊され国家が新しく思いついた伝統に再構成される時ではないだろうか。日本が様々な個性的な木が群生していた自然林から松だけの没個性の人工林に変わることが恐ろしい。 
今日もおばさんが開店した店から花を取ってこれますように。

映画「狼少女」を見た。感想はこちらにあります

現代の学生は凶暴化してない

現代の学生は凶暴化してない。そんなことは、社会学や教育学の本を開くまでもなく、村上龍の「69」でも読めばわかる。今の世の中、ベトナム戦争がなんやかんやといって食ってかかる学生がどこにいるのだろう。まして、勝手にペンキをべたべたぬって、「想像力が権力を奪う」というような幕をぶら下げるような学生は共産党系民青の中を探しても見つかりはしない。今の学生がやることは、夜な夜な学校のガラスを割るか猫を引き裂くか、40年前と比べればちんけなものである。壇上でしゃべる国会議員をナイフで一突きするような学生や機動隊に突撃して命を散らす学生と比べれば・・・。
今の学生には覇気がない(40年前を見てきた訳ではないけれど)。確かに、40年前は反体制という、使い勝手のいい大義名分があって、それを使えばどんなことも一応の理解は得られるという今とは違う社会ではあるが。別に犯罪をやれと言いたい訳ではない。暴力は自分がもっとも嫌うものでゲバ棒なんて論外だ。法の範囲内で、学生の力ででかいこと一つできないのかと言っているのだ。日本初の熱気球「イカロス5号」は学生の力で飛んだ

神宮より

家族旅行で、伊勢に来ています。神宮へもお参りに行ってきました。熱田さんとは比べ物にならない格調の高さ規模みどりの多さに感動しました。人間は自然の一部であるということを実感しました。里山との接点があるのではないかと思います。伊勢の森も里山も人間の手が加わっています。しかし、これは人間のためだけでなく森全体のためなのです。そうしなければ、森は雑木林となり日の光は届かず荒れてしまいます。人間も森の仲間の一つで、他の生き物と森の環境を支えあっています。だから、山からの恵みをいただくことを許されているのだと思います。
神宮の入口の案内所に「正しくわかる・伝えられる 日本の祝日と 国旗・国歌のハンドブック」が置いてありました。去年の夏に行った永平寺には「平和の宗教」とは何かなどというような仏教の寛容性や平和性のすばらしさを暗にほめたたえるような掲示はありましたが、政治的なものの掲示・パンフレッドはありませんでした。日本の伝統を作り上げたのは神道だけではなく仏教も伝統を作っているはずですが・・・。
そんなことは置いといて、日本は世界で一二を争うぐらい政教分離大国です。アメリカのように大統領が「神」を連発して発言することもないし宗教政党も建前上ありません。どの宗教にもひいきしないこれが日本の政治のやり方でした。このパンフレッドに載っているような祝日・日の丸・君が代がもし神道の前からの主張ならば、政府は一つの宗教にひいきして法を定めたことになります。釈迦が悟りをひらいた日もキリストが復活した日もムハンマドが昇天した日も休日ではありません。しかし、神武天皇が即位した日は休日です。これは特定の宗教に対するひいきの他の何ものでもないのではないでしょうか。政府が宗教に関与するのは問題ですが、宗教が政治に関与するのも問題です
本当はhttp://www.janjanblog.jp/user/Fraternite/peace/のネタですが、携帯からの更新がわからないのでこちらに載せました

腹の具合が・・・

昨日から、腹が微妙で下痢気味。おととい、イギリス人Tからもらった「おつまみ納豆」のせいではないかと思う。あんなにまずいもの食ったのは初めてだ。まだ、生の納豆の方が何倍もいい。外人の味覚ははわからない
ボーイスカウトでは「救急法講習会」というものがあって、そのなかで言われたのが「便秘の時は水を飲めばいい、下痢の時は水を飲まなければいい」ということだった。でも、後で養護教諭(保健の先生)に聞いたら、下痢の時に水を飲まないと「脱水症状」になるそうでよくないそうだ。 ボーイスカウトはなんて野蛮なんだと思った瞬間でした。 みなさん下痢の時も水を飲もう!!

卒業式

 下の子(すなわち妹か弟)の卒業式に行ってきました。 自分の母校なんですが、校舎の内装が変わり、自分の知っている教員も一人二人という感じであまり懐かしさは感じませんでした。

校長を生徒・教員・保護者・在校生代表・来賓が取り囲むように座る配置になっていたり、歌がすべてピアノ伴奏だったり、保護者第一列を確保したり、デジタルカメラのSDカード忘れたりといろいろ驚くことばかりでした。

君が代は口パクでした。さすがに口を動かさないと下の子に悪いなと思って。恋の歌とも、九州王朝の歌とも言われる歌を国歌とは認めていません。やっぱ、日本国建国(戦後政府)の精神を歌いこまなくては・・・

合宿やらキャンプやら

NPO立ち上げのための合宿会議をやってきました。これから一年かけて、人の役に立つ活動とは何か考え活動内容をじっくり作り上げていきたいと思っています。
私には弟か妹がどちらかいます。載せることを言っていないので名前はもちろんのこと、年齢・性別も明らかにできません。その人物がボーイスカウトの「一級挑戦旅行」に行くための計画を立てていて、その面倒をみています。いつもは、絶対不干渉の兄で何もしてあげてないですが今回は特別。私がやった頃から6年の月日が経ち、進級項目も変わり、計画書の書き方も厳しくなったと思いました。地図の畳み方、座標の引き方ぐらい前から知っておいてよとか思いながら、活動内容のロープワークが自分のできないものばかりで、ドキッとしました。
そんな人間がカブスカウト(小学生低中学年)の副長補などやっていてはいけないのですが。一級からやり直しますかな・・・