気概なき日本人へ ホワイトバンドとか 愛国心とか

 ホワイトバンド問題。あれは一年前だっただろうか。あんなにも想定が異なところで騒がれるとは思わなかった。

 募金とは違うということで・・・

 もちろん、広告会社社長が企業の商売の経営感覚でやっていたこと、収支がはっきり示されなかったことそして社長自身ホワイトバンドの考え方を理解していなかったという問題はある。

それを割り引いても、あの規模の大きな非難は理解不能なのだ。

あの活動は、国民みんなが白いわっかをし、イベントなどを開いて世論を作成することで政策を動かそうとするものである。

明確な目的があるにもかかわず、なぜ支持されなかったのか。
それは、世論とは

政府や政党関係者(野党含む)によるメディア政策によって構築されるもの

であって、それらではない人がつくるものではないからである。

自分の意見を国会立候補以外で公の社会に広め改革するという考え方はもともとなく、余裕ある個人が私の領域の中で恵んでやるという発想しかない。

独自の自分の意見を言えば「普通じゃない」と非難されるし、まして行動すれば常に「切腹」の覚悟でいなければならない。

教育の現場である程度暗記が必要なことは認める。けれど、社会科の分野で、当たり障りのないことを覚えるのに終始したがために現実の社会の問題について考えることをおろそかにした。 

考えないことは発想を貧相にし極論以外の主張を封じ込める結果となった。

その結果、右左のイデオローグに流されて極論を言う以外、社会に主張することはなくなり政府から恵みをいただく気概なき国民に成り下がった。

気概ある国民を作るためとかなんとかで、「愛国心教育」をやるらしい。「愛国心」をどうゆう風に評価に入れられるのか、かなり不明だが、考えられることは暗記項目ごとく「愛国的行動」でも定めていくらクリアできるかをはかることである。これは体の暗記科目である。 そして、ますます学生は考えなくなり気概なき日本人は増えるのである。