Start of ”Mado” まど 創刊

 「つよぽんのこれナンダ」は、日英二ヶ国語で日本のニュースに関する解説(もちろんfraterniteによる)とfraterniteの個人日記の二本立てによる「Mado-Japanese News Press-」にバージョンアップしました。

「まど」とは。日本のニュースを外に伝える窓になればという想いで名づけました。

英語は得意ではありませんし、三日坊主野郎なので続かないかもしれませんが、できるだけがんばります。

"Tsuyopon no Korenanda" is virsion upped to "Mado-Japanese News Press" whose contents are News coment by Fraternite and my diary.

"Mado" means "window" in Japanese. I wish this weblog become window of Japan to world.

I am not good at English and continuance to do but I make efort as much as possible.

今日のニュース

台風9号(たいふう9ごう)が、関東地方(かんとうちほう)に接近(せっきん)しています。我が家(わがや)のまわりも雨(あめ)がふり続いて(つづいて)いてたまに強く(つよく)なります。

明日(あした)の大学(だいがく)の午前中の(ごせんちゅうの)授業(じゅぎょう)は中止(ちゅうし)だそうです。子ども(こども)たちは、台風(たいふう)が来(く)ると授業(じゅぎょう)が休み(やすみ)になるので喜び(よろこび)ます。しかし、本当(ほんとう)はとっても危険(きけん)なので喜んで(よろこんで)もいられません。川(かわ)の水(みず)が増水(ぞうすい)し、川(かわ)で人(ひと)が流され(ながされ)たり、家(いえ)が水(みず)につかったりします。おおくの犠牲者(ぎせいしゃ)がでないことを祈り(いのり)ます。

Today's News

Typhoon 9th is on its way to Kanto(surround Tokyo). Sorround my house, rain is keeping and sometimes rain become strong.

My University all morning class is canceled. Chirdlen become happy becuase Typhoon make school classes cancel. But Typhoon is very dengerous. Water become more in river, person is flowed by river water and houses are flooded. I wish less victims.

「右傾化」言説によって「右傾化」は作られた

 中3ぐらいから現在に至るまで継続して他の人の言うところの「ネット右翼」のウォチャーをしてきた。最近は忙しいので引退している。

 ネット右翼ウォチャーから言わせれば「若者の右傾化」など怪しいものである。

 そもそも、右傾化するも何も、どんだけの若者が政治に関心があるというのだろうか?

ある領域で目立つことと多いことは違うことがある。東京大学は民青の活動拠点の一つだが知り合いの東大生は民青に対して否定的であった

そもそも、いわゆる「ネット右翼」は金太郎飴ごとくみな同じなのだろうか?あまりにも画一的に見すぎていないだろうか?

ある「ネット右翼」は昭和維新を肯定的に書くだろう、ある「ネット右翼」はコミンテルンの策略と書くかもしれない。

ある「ネット右翼」はグローバリゼーションを支持し、ある「ネット右翼」はグローバリゼーションを批判している

ある「ネット右翼」は維新政党・新風を支持し、ある「ネット右翼」は自民党内で「伝統」という言葉を愛する人々を支持するだろう

上野陽子の「<癒し>のナショナリズム」によれば「史の会」という保守系の勉強会に参加する若い世代にとって「天皇」はたいした意味を持ってないようだが、「ネット右翼」の中には「天皇崇拝者」もいる

彼らは多様なのだ(だったのだ)。なぜ括弧書きで「だった」のか。それはあることで多様性が奪われ続けた姿が今の「ネット右翼」なのだ

それぞれの人間に一つの団結感・一つの共通アイデンティティを与えたのはまさしく「右傾化」言説ではなかったのか。

「あいつらは全員ネット右翼だ」と宣言することで初めて、彼らは仲間意識を持つ。なおかつ、自分とその仲間が批判されているのだから一緒に反論しなければならない。

その瞬間、意見のすり合わせが起こるのだ!!

その瞬間、初めてひとつの「ネット右翼像」が実体化するのだ!!

ネット右翼」達は、まさしくエドワード=サイード言うところのオリエンタルではなかったのか。自らが何者かを語ることを許されず、勝手に他者に名づけされる存在。そして彼らは、敵の言説を内面化することによって、初めて自らを語りえたのではないか。

「右傾化」言説の前に「右傾化」は全くなかったとはいわないが、「右傾化」言説によって「右傾化」が実体化し拡大したのは間違いないのではないか

気概なき日本人へ ホワイトバンドとか 愛国心とか

 ホワイトバンド問題。あれは一年前だっただろうか。あんなにも想定が異なところで騒がれるとは思わなかった。

 募金とは違うということで・・・

 もちろん、広告会社社長が企業の商売の経営感覚でやっていたこと、収支がはっきり示されなかったことそして社長自身ホワイトバンドの考え方を理解していなかったという問題はある。

それを割り引いても、あの規模の大きな非難は理解不能なのだ。

あの活動は、国民みんなが白いわっかをし、イベントなどを開いて世論を作成することで政策を動かそうとするものである。

明確な目的があるにもかかわず、なぜ支持されなかったのか。
それは、世論とは

政府や政党関係者(野党含む)によるメディア政策によって構築されるもの

であって、それらではない人がつくるものではないからである。

自分の意見を国会立候補以外で公の社会に広め改革するという考え方はもともとなく、余裕ある個人が私の領域の中で恵んでやるという発想しかない。

独自の自分の意見を言えば「普通じゃない」と非難されるし、まして行動すれば常に「切腹」の覚悟でいなければならない。

教育の現場である程度暗記が必要なことは認める。けれど、社会科の分野で、当たり障りのないことを覚えるのに終始したがために現実の社会の問題について考えることをおろそかにした。 

考えないことは発想を貧相にし極論以外の主張を封じ込める結果となった。

その結果、右左のイデオローグに流されて極論を言う以外、社会に主張することはなくなり政府から恵みをいただく気概なき国民に成り下がった。

気概ある国民を作るためとかなんとかで、「愛国心教育」をやるらしい。「愛国心」をどうゆう風に評価に入れられるのか、かなり不明だが、考えられることは暗記項目ごとく「愛国的行動」でも定めていくらクリアできるかをはかることである。これは体の暗記科目である。 そして、ますます学生は考えなくなり気概なき日本人は増えるのである。

「大沢村より愛をこめて」つよぽんのやさしいICU講座3

ICU名物 ELP

ICU1年目を束縛するのがこのELP

English Lanuage Program

いわゆる英語
なんてったって 週9時間ある 全体で14時間

もはや、英文科??

今学期の授業内容は

1、ARW(Academic Reading and Writing)週3時間

 英文を読みクラスでディスカッション。ARP(Academic Reaction Paper 要約+感想文)とEsseyが目玉。締め切り前日が死にそう

今学期は、英語だけでなく

「大学での学びとクリティカルシンキング
も学ぶ。というか、そういう内容の文章。
あと、ヘミングウェイ老人と海

先生は学内ではノンジャパニーズ略してノンジャパと呼ばれる外国人
重要科目


2、RCA(Reading Contents Analisis)週2時間

 英語版国語。ひたすら、作者の意図を探りパラフレーズ(言い換え)&図式化 自分のクラスはやっていないが、文章の題材がプロパガンダなので、模擬政党を作って選挙活動のための宣伝をかんがえるということをやることがあるみたい

先生は大抵日本人
重要科目


3、CS(Conversation Stratesy)

その他の英語科目ってこと

 ASP(Academic Speaking)週2時間(同一日 連続ではなかった) 

 学内で使う英語表現と頭が柔らかくなるゲーム(これは先生の好みか?)をやる 唯一の英会話科目。他の科目も英語しか使っちゃダメだけど P&D(Presenntatipn and Discussion)もやる

 2ALN(Academic Listening and Note-taking) 週1時間
 
 英語の講義を聴いてノートをとる

 3NP (Narative Presentation)週1時間
 
 巨大な階段教室で、英語を使った授業を受ける。ALNの宿題でこのときのノートを提出することがある

 4ALS(Academic Learning Stratesy)週1時間

 ALSと言っても病名ではない。大学での学びを考える科目。電子辞書と紙の辞書いいとこわるいとこ話し合ったり、ポスタ−を使ったプレゼンをやったりする

模擬国連報告


昨日の模擬国のアフターは中止になって涙涙・・・
これが楽しみで行っていたのに(オイオイ)

昨日は、前期会議(テロ対策)の国割りの発表がありました。その国は

昼でもヨルだン

いやヨルダン・ハショミット(ハーシム)王国(المملكة الأردنّيّة الهاشميّة文字化けしたかな)
今年の夏は、ヨルダンにヨルだン(もう、親父ギャグやめよ。パソコンがフリーズしそう)

中東の国です。

昨日の会議は、新歓合宿のレビュー・テロについての勉強をしました。

テロ対策の国際的相違点のひとつは、目的でテロの定義をするかした内容でテロを定義するかです。テロの目的で考えろという意見のねらいは民族の自決権獲得の闘争(パレスチナ人の投石等)をテロとされることの除外です。一方、内容(テロ行為)で定義しろという意見のねらいはあらゆるテロを一網打尽にするということです。一見、前者の意見は「自決権獲得」という言葉の乱用の危険があり後者のほうがよいように見えますがそうでもありません。テロ組織は悪かもしれませんが、それと戦っている政府も正義かどうかはわからない。にもかかわらず、国家だけに正義を与えるのは問題ではないか?パレスチナPLOは国家でないから非難されイスラエルは国家だから非難されないというのはおかしい。とも言えます。
これが、勉強会内容&リサーチ前の自分の直感的分析かな

模擬国民にしかわからない話でごめん

自分は他人を批判できるのか

 私は、日常的に石原慎太郎を批判してきたし、彼と自分は違うと思ってきた。自分は、「ネット右翼」という言葉を使わないぐらい言葉には十分気をつけてきたつもりであった。しかしながら、それは自分の偽善でありただの自己満足ではないかと今日思った。
 つい先ほど、私は自らの日本語に対する責任を放置した。言葉について何の配慮もはらわなかった。ICUは、データの割合以上に留学生に出会うところである。彼らの話題になることも多い。そこで私は彼らに対し「外人」という言葉を使ってしまった。その問題は、友達に指摘されるまで気づかなかった。「外国人」と「外人」この言葉の差が何かご存知であろうか?? 私は詳しくは知らないが、「外人」とは「外の人」つまり排除の対象である。そういう意味あいがある言葉なのである。通常は「外国人」とか学内なら「留学生」とか使うべきなのだ。言葉は心を表すと誰が言ったかなんか知らないが、その言葉の選択は自分の心が表れていると言えるのではないか。指摘された瞬間、自分の中で壁が崩れたというかそれぐらいの衝撃があった。やはり、自分は石原と同じだ。
 人に自分ができないことを押し付けれるかどうか?? それは許せられるのか。それは、核を持ちながら核廃絶を他国に呼びかけるアメリカ政府と何が違うのか?? つまり偽善だ。韓国の学生と3年間付き合いがあり裏に留学生が住んでいる自分がこんな発言をすることは、小説家という言葉のプロである石原慎太郎が「三国人」ということと同じことだ。日常から気をつけない限り、言葉は心は変わらないのだ


中部大学 国際理解短歌コンクール 特 別 賞 国際言語文化賞 高校生部門

“外人”と “外国人”の 差はひとつ のけ者扱い するかしないか

この歌に、半年前に出会っているにもかかわらず・・・

学問以前 教育基本法

政治編のねたを持ってきました

「現在、自由民主党公明党の中で、教育基本法
国と郷土を愛する心」とかなんとかを
載せようとする動きがあるらしい。 なんでもけちをつけたいつよぽん
「愛」って「国」って「郷土」って
何かって考えてみる。

「愛」は「愛情」と「友情」の違いに戸惑っているからパス

「国」と「郷土」について少し書いてみる。
自分にとって郷土とはどこまでを指すのか。
少なくとも日本全体はありえない。
行ったことのないところをふるさととは言いたくない。

では、都道府県は?
いったことのあるところも多いが一度しか行ったことのないところに愛着は感じない。

では、市町村は?
私は巨大な市に住んでいたので市の反対側はあまり知らないし、俺のふるさとだといっては怒られる気がする。

ではもっと狭めて学区はどうだろうか?
おおよそ、よく歩き回る地域は故郷として思い入れがある。
行ったことのないあたりは、あまり愛着はない。

郷土とは、その人の生活圏内である。

では国は??
「国」には「国家」「国土」などさまざまな意味合いがこめられる。
「国民の〜」とかいう本も多くありそうだが、

国民は一つのものを共有しているといえるだろうか。

外国人に、日本について尋ねると「フジヤマ・ゲイシ」だ

というのはどこまで事実かわからないが
日本の国の象徴とされる富士山・芸者を一般の日本にいる人間はどこまで接しているだろうか。

私は、芸者を直接見たことがない。テレビで見るだけ。

その頻度も、自分が遊ぶゲームのキャラクターを見る回数より低い。いわば、
自分にとって芸者は想像上のもの(バーチャル)なのだ。

富士山も直接見た回数は5回を超えない。実家の裏に住んでいる留学生に合う回数のほうがよっぽど多い。
日本中には「○○富士」というのが多数あるけれど、現地の人は本物の富士山を見ているのではなく「○○富士」であり愛着を感じているのも「○○富士」であって「富士山」そのものではない。(富士山は静岡県民など富士山が見える人にとっては郷土だろうし、芸者も京都の人にとっては伝統である)
 教えられる日本の伝統に「富士山・芸者」が入るかは知らないが、見たことも接点もないものをあたかも故郷の文化のように教えることは、現地文化の破壊であり新しい伝統の創造である。

そもそも、「郷土」は、教室で教えれるもののだろうか??

教えられなきゃわからないものなのかという問題何を教えるのかという問題がある。私の町では、

開店祝いの花を持ち帰る文化
があるが、これも教室で教えるのだろうか。郷土愛教育に郷土史があるだろうが、もしつい最近埋め立てられた埋め立て地に暮らしている人はどうすればいいのか。
となりの地域の歴史でも学んでいろと??

政治編のねたを持ってきました

「現在、自由民主党公明党の中で、教育基本法
国と郷土を愛する心」とかなんとかを
載せようとする動きがあるらしい。 なんでもけちをつけたいつよぽん
「愛」って「国」って「郷土」って
何かって考えてみる。

「愛」は「愛情」と「友情」の違いに戸惑っているからパス

「国」と「郷土」について少し書いてみる。
自分にとって郷土とはどこまでを指すのか。
少なくとも日本全体はありえない。
行ったことのないところをふるさととは言いたくない。

では、都道府県は?
いったことのあるところも多いが一度しか行ったことのないところに愛着は感じない。

では、市町村は?
私は巨大な市に住んでいたので市の反対側はあまり知らないし、俺のふるさとだといっては怒られる気がする。

ではもっと狭めて学区はどうだろうか?
おおよそ、よく歩き回る地域は故郷として思い入れがある。
行ったことのないあたりは、あまり愛着はない。

郷土とは、その人の生活圏内である。

では国は??
「国」には「国家」「国土」などさまざまな意味合いがこめられる。
「国民の〜」とかいう本も多くありそうだが、

国民は一つのものを共有しているといえるだろうか。

外国人に、日本について尋ねると「フジヤマ・ゲイシ」だ

というのはどこまで事実かわからないが
日本の国の象徴とされる富士山・芸者を一般の日本にいる人間はどこまで接しているだろうか。

私は、芸者を直接見たことがない。テレビで見るだけ。

その頻度も、自分が遊ぶゲームのキャラクターを見る回数より低い。いわば、
自分にとって芸者は想像上のもの(バーチャル)なのだ。

富士山も直接見た回数は5回を超えない。実家の裏に住んでいる留学生に合う回数のほうがよっぽど多い。
日本中には「○○富士」というのが多数あるけれど、現地の人は本物の富士山を見ているのではなく「○○富士」であり愛着を感じているのも「○○富士」であって「富士山」そのものではない。(富士山は静岡県民など富士山が見える人にとっては郷土だろうし、芸者も京都の人にとっては伝統である)
 教えられる日本の伝統に「富士山・芸者」が入るかは知らないが、見たことも接点もないものをあたかも故郷の文化のように教えることは、現地文化の破壊であり新しい伝統の創造である。

そもそも、「郷土」は、教室で教えれるもののだろうか??

教えられなきゃわからないものなのかという問題何を教えるのかという問題がある。私の町では、

開店祝いの花を持ち帰る文化
があるが、これも教室で教えるのだろうか。郷土愛教育に郷土史があるだろうが、もしつい最近埋め立てられた埋め立て地に暮らしている人はどうすればいいのか。
となりの地域の歴史でも学んでいろと??