歴史を学ぶ意味

歴史を学ぶ意味とは何だろうか。過去を知っていったい何の意味があるのだろうか。
私たちは、気付かない所で歴史を学んでいる。カエサルの時代、独裁官という役職があった。今、「独裁」と聞けば悪魔の代名詞だが、この時代は違った。別に、人々に恐怖を与えるようなイメージはなかっただろう。しかし、ヒトラームッソリーニスターリンなどの「独裁」の悪行を経験し、「独裁=悪」の認識が生まれたのだ。人は失敗の歴史から学ぶ。そして、同じことを繰り返さないように努力する。
使い古された言葉に、「温故知新」がある。これは、ただの復古主義ではない。過去の英雄から学ぶだけではない。過去の人が「得」だと思ったものと今の人が「得」だと思うものは違うことが多い。例えば、今の人が、牛や馬をもらっても喜ばない。いや、はっきり言って迷惑だ。しかし、昔の人にとっては牛や馬は宝だった。しかし、共通しやすいものもある。苦しみだ。今の人間も昔の人間も飯がないのは苦しみだ。仕事を失うこと誰かと別れることみな苦しみだ。昔は、どうしてその「苦しみ」が生まれたのか、どう対処したのか対処できたのか、そして今、共通する原因となりうるのは何でどう対処すべきなのか、それを研究することが歴史を学ぶ意味だと思う。先祖の苦しみを無駄にせず未来に活かすことが最大の先祖への孝行になる。
そのことに、ロマンも何もないかもしれない。過去に桃源郷を探すことが何倍もロマンがあり、精神的に満たされるかもしれない。しかさ、過去は常に美しくあったわけではない。人々が道徳と節操を守った過去、間引きや身売りがあった。犠牲のおかげで道徳が守られていたのだが、今日誰が犠牲になればいいのだろうか。過去は現在になりえない。

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