「民族性」は存在するのか?

かつて「嫌韓流」という漫画を取り上げたことがあった。なぜ、小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」は小学館か出版できるのに、「嫌韓流」はできないのか私には不思議だ。「ゴーマニズム宣言」は、評論の漫画版で、「嫌韓流」は「プロパガンダ」という分け方なのか・・・。
そんなことは置いといて、この本の特徴の一つは、スポーツ倫理と著作権の問題と歴史学や文化学の問題と政治学の問題などが、一冊の中に書かれていることである。このこと自身は、不思議なことではないかも知れない。「21世紀の平和学」ではあらゆるアプローチから同じ主題「平和」が語られている。では、この「嫌韓流」ではあらゆるアプローチから何が書かれているのだろうか。私が思うに、「韓国人の民族性」ではないだろいか。いわゆる「火病」について。
しかし、私は疑問である。もし、一つの民族の人間すべてが全く同じ「民族性」に貫かれているなら、大和民族の犯罪者と私は、同じ民族である(同じ言語・同じ生活文化)という以上に共通するものを持っていなければならない。(米は好きだから食うのであって民族性がそうさせているわけではない)そして、もしその犯罪と「民族性」が何らかの接点があるならば(その民族性が犯罪を犯すことに影響を与えているならば)、同じ「民族性」に貫かれている私は同じ犯罪を起こすということになる。私には、信じられない。すべての大和民族が人を殺すということを。もしそうなら、日本はなぜ今この世の地獄ではないのか。誰か教えてください
東大門でニセモノのシャネルを売りながら、反日デモに反感を抱いているアジュマもいるのではないのか?反日デモをやりながらも、韓国の伝統文化に無関心な若しくは古くさいと軽蔑しているハクセンもいるのではないだろうか。
人間は、純粋ではない。相反するものを自らの中に持つ生き物である。民族が完全に共有する「民族性」なんて存在しない。ただ、「よく似た」(決して同じではない)生活習慣をしていて、稀に外国にいって日本人を見つけて日本人でまとまっていたくなるだけである。
しかし、もしかすると「嫌韓流」にはそんな主題はなかったのかもしれない。この本は、「2ちゃんねる」から生れたという。「2ちゃんねる」の特徴は「正義」など何かの教義に囚われることへの反抗だという。つまり「民族性論」にも囚われない。ということはただの感情の露出。大卒率50%を超え、多くの日本人が大学で論文という論理的でなければならない文章を書いてきたはずなのに。自分が高校生のくせに、なぜか情けない

指摘を反映して
2ちゃんねる」の特徴は「正義」など何かの教義に囚われることへの反抗だという。」
 ↓
「「2ちゃんねる」の傾向として、「『正義』など何かの教義に囚われることへの反抗」があるという意見もあり、「嫌韓厨」と呼ばれる人々の一部にも、「社会正義」を御旗に振る、左派への反感から、「嫌韓流」を支持するものもいるのかもしれない。」
に変更します(ただ、指摘の部分がどこであったのか、文脈はどうだったのかなどを明らかにするために原文は放置します)

FC2 Blog Ranking

人気blogランキングへ