「人質〜メディアは何を伝えたか」を見て

 この映画は、人質事件後の人質の一人フリージャーナリスト郡山総一郎氏へのインタビューによるドキュメンタリー映画である。残念ながら名古屋シネマテークでの上映は1月13日までなので、もう見ることができない。

私たちは、ただ、心がときめくようなドラマが見たかっただけなのだ。日本政府という水戸黄門が「武装勢力」という悪代官を倒し、「人質」という人民を助けるドラマが見たかった、それだけなのだ。もし、悪代官に苦しめられている人民の家族が、悪代官の条件を呑むように黄門様に訴えかけ、悪代官に捕まっていた人民が元に戻りたいといいだす水戸黄門を誰が見たいだろうか、だから、芝居をめちゃくちゃにした人質とその家族にキレたのだった。観客に反する演技をする俳優を誰も見ない。
しかし、私たちは何も知らなかった。自衛隊撤退を訴えかけるデモストレーションに参加しながら自分自身何も知らなかった。ただ、テレビの自称「専門家」に踊らされていただけだった。いったい、国家間の安全保証の専門家が、NGOやジャーナリストの安全管理の不備について論じえるのか?本来なら、NGOの現地の安全対策をやっている人間、日本人で適当な人間がいないなら外国人でもいいから、ワイドショーに連れてきて、国際協力の大切さとそれに伴うリスクマネージメントの難しさを語らせ、そこから彼らの軽率さを責めるべきだったのだ。実際は、綿井健陽氏ら数人のジャーナリストがテレビに出たのをのぞけば、その当時この問題の論点のおかしさを自著でついた「紛争屋」(紛争の現場で武装解除を行う)伊勢崎賢治氏やペシャワール会中村哲氏がテレビにでることはなかった注①。やはり、ヨーロッパ式市民社会というものは日本にはなじまないものなのだろうか。あんなけ、明治以降日本によそから来た「近代」というものが染み込んだのに。所詮、支配する人間に有利のものしか染み込まない、家父長制とか、国民国家「日本人の日本」とか、ということか。残念
もう一つ思ったことは、彼らは囚われていた方が帰るよりも平和で幸せであったということだ。イラク人の何倍も日本人は冷たかったということだ。砂漠のど真ん中だから逃げ場こそないが、食べ物に不足はなく、砂漠ということ以外に拘束するものはなく、もちろんバッシングもなく、次どうなるかはわからないという不安はあったが、束の間の平和を過ごしていた。これは、よど号と同じだ。日本初のハイジャックよど号の中は非常に平和だったという。ソウルで乗客が降り、テロリストは北朝鮮に行く為に飛行機に残り、別れの時に送迎会があったという。送迎会こそなかったが、状況は一緒だった。武装勢力はあんなけ日本を脅しながら、全く殺す気がなかった、これは彼らが非武装で、日本人であったことによるだろうが、我々は座り込みをする必要はなかったということだ。全くもって無知だったのだ。無知のまま行動してしまうのは仕方ない、しかし、後で反省すること、再確認することが大切なのだ。しかし、座り込みをした我々も、「2ちゃんねる」を始めとする掲示板の人々も誰一人として表立って謝罪はしていない。私たちは、一言一言に責任を帯びている、新聞記事からインターネットの掲示板の書き込みまですべての発言が「自己責任」なのだ。しかし、誰が責任をとったというのだ。ちなみに我々の責任は、これを政治問題にしてしまったことである。
彼らは計画にこそ無理はあれ、政府に頼ることなく自分達の責任でことを済まそうとしていた(少なくとも政府のチャーター機に乗るつもりはなかった。あれは、はっきり言って詐欺だ。)この問題で責任を追うべきは彼らではなく我々だ

注① 自著でこのことを書いたのは、伊勢崎賢治氏ではなく吉田鈴香氏であった。しかし、伊勢崎氏も別の所で指摘している。
しかし残念なのは、軍隊というものがNGOの活動をやりにくくさせていながら、アメリカ軍の復興支援を支持する月刊誌「正論」に吉田鈴香氏が記事を書いたことである。アメリカ軍とNGOが同一視されNGO武装勢力に襲われることがどんなけよくないことか・・・